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2009.01.03 *Sat
問いかけから始まる
こんにちは。池内秀行です。
2009年2日目。
自分のために元旦からはじめた、あることは今日も続き、この感じだと、1年続きそうです。
昨日の年明すぐに書いた、クリエイティブな自分を取り戻そうと思った理由を書いておこうと思います。
実は、昨年、ひょんなことから父親が昭和44年に造った作品を楽天のオークションで発見して、購入しました。
出ていた作品は、芦屋市にある滴翠美術館に1968年10月、同美術館に滴翠窯が開設され、その指導主任になった時の、滴翠窯開設の記念品として作成されたお皿でした。
色々事情があり、父親はもう作品はつくっていません。私が中学3年生の時に、高知県須崎市に窯をついて、約4年間そこで作品をつくっていましたが、その頃の作品が最後のものになります。
当時は、土づくりや、釉薬づくり、作品の窯づめ、そして、私はガス窯に火を入れてれて焼き上げるまでの窯たきの役割をしていて、今思えば、高校生ながらよくやっていたなと思います。
私が、小さい頃は(中三の夏までは香川県に住んでいました)家の裏に、仕事場と窯場があり、学生のお弟子さんがいたりしながら仕事をしていたのですが、当時は全く仕事場に入れてもらえず、その上、父親は、私が小さい頃から長期の外出が多く、そんなことから、父親がいったいどんな仕事のしかたをしているのか知りませんでした。
そして、私が小学校に入学すると、父親は東京やその他の地域で仕事をするようになり、殆ど家におらず、益々、どんな仕事をしているかわかりませんでした。
小学校3年生頃からは、たまに帰ってきて、作品をつくる時は、わけもわからず手伝っていました。
そんな感じなので、私が生まれる前の仕事の経歴やどんな人生を生きてきたかは、あまり話す機会もなく、聞いてもあまり教えてくれませんでした。
現在、父親は養護老人ホームに入っていて、今も、昔の話を聞いても教えてくれません。
そんな諦めていたところに、楽天のオークションで作品を発見し、その上、私が生まれる1968年までの父親の略歴がついていたのです。

その中には、昔、よく話しには出てきていた加藤唐九郎先生の名前や、小さい頃、たまに父親に連れて行ってもらっては、お稽古の後に茶室にあげてもらってはお茶をたててお菓子をくれては可愛がってくれた茶道家の小松一優先生とのことや、その他、はじめて知った経歴もありました。
そして、何より、滴翠窯が自分と同じ年齢なんだなと思うと、不思議な感じがしました。一度は行ってみようと思いながら、大阪に住んで約20年になりますが、まだ一度も足を向ける機会がなかったので、今年は行ってみようと思います。
そんなこともあり、私が生まれるまでの父親の略歴が手に入り、子供時代を振り返る機会にもなりました。
憶えている限りでは、子供ながらに土いじりは好きで興味はあったのですが、いつも言われていたのは、「弟は才能があるが、お前には無い。」でした。それは、お前は器用だし飽きっぽいから向かない、しかし、弟は不器用だけど、粘り強く、こつこつやるタイプだから向いているという言い方をされていました。
実は、これがきつい言い方で、工作やプラモデルをつくったりするのが好きだったうえに、今思えばおいおいと思いますが、保育園の頃、祖母につれられて絵の塾に行っていて、なぜかそのプライドもあり、父親に認めてもらえないのが悔しくて、自分には才能がないので好きと思っていることは出来ないんだと思うようになっていきました。
実際、弟は、図画工作や絵を描くのが好きで、結構、上手でした。粘り強く、こつこつやるタイプでもありました。しかし、今、思えば、父親と私の関係が大きく影響していたことは事実で、その影響を考えると、才能が無かったのではなく、才能を否定されていたのです。父親がそのつもりはなくてもです。
実際、父親が留守で、その影響が無いときの、小学6年生の時に、図画で作成した、絵の具を使った版画が、四国新聞のイベントで金賞を受賞して、一躍校内で有名になりました。ちょうどクリスマス時期で、近所からお祝いのクリスマスケーキを3個くらいもらった記憶があります。
それでも、父親は「よかったな。まぐれやろう。」で終わりでした。
実は、高校を卒業するまで、父親の影響から離れると、何か良い結果が出るというのが続いていました。
それくらい、父親は怖い存在であり、支配的で、その怖さは、ここでは書けないくらい、本当に激しかったのです。
実際、その父親の部分を私は自分の中に取り込んでいて、随分取り組んで癒してきました。そして、癒しのプロセスが進むたびに、生き方も楽になっていきました。
そう思う中で、ふと、自分に問いかけました。
「おまえはいったいどうしたいの?」
暫くするとうまく表現できない感覚とともに、何かをしたがっている自分がいることに気づきました。
まだ言葉にはなりません。
その体験から、今年は、自分のインナーチャイルドの才能に、あらためて目を向けてあげようと思ったのです。
具体的に、どんな形になっていくかはわかりませんが、自分の内なる声なのか、インナーチャイルドの声なのかはまだわかりませんが、自分の感覚や、内側から聞こえて来る声を聞いて、やりたがっていることをさせてあげようと思います。
HP→http://www.ikeuchihideyuki.com/
Bonne chance!
池内秀行
人気ブログランキングに参加してるので足跡の代わりにクックしてくれると嬉しいです!
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現実にも役に立つ心の成長と癒しにつながるセルフカウンセリングメッセージ。ミニマグ版「無条件の愛」
▽▽▽
http://mini.mag2.com/pc/m/M0013914.html
2009年2日目。
自分のために元旦からはじめた、あることは今日も続き、この感じだと、1年続きそうです。
昨日の年明すぐに書いた、クリエイティブな自分を取り戻そうと思った理由を書いておこうと思います。
実は、昨年、ひょんなことから父親が昭和44年に造った作品を楽天のオークションで発見して、購入しました。
出ていた作品は、芦屋市にある滴翠美術館に1968年10月、同美術館に滴翠窯が開設され、その指導主任になった時の、滴翠窯開設の記念品として作成されたお皿でした。
色々事情があり、父親はもう作品はつくっていません。私が中学3年生の時に、高知県須崎市に窯をついて、約4年間そこで作品をつくっていましたが、その頃の作品が最後のものになります。
当時は、土づくりや、釉薬づくり、作品の窯づめ、そして、私はガス窯に火を入れてれて焼き上げるまでの窯たきの役割をしていて、今思えば、高校生ながらよくやっていたなと思います。
私が、小さい頃は(中三の夏までは香川県に住んでいました)家の裏に、仕事場と窯場があり、学生のお弟子さんがいたりしながら仕事をしていたのですが、当時は全く仕事場に入れてもらえず、その上、父親は、私が小さい頃から長期の外出が多く、そんなことから、父親がいったいどんな仕事のしかたをしているのか知りませんでした。
そして、私が小学校に入学すると、父親は東京やその他の地域で仕事をするようになり、殆ど家におらず、益々、どんな仕事をしているかわかりませんでした。
小学校3年生頃からは、たまに帰ってきて、作品をつくる時は、わけもわからず手伝っていました。
そんな感じなので、私が生まれる前の仕事の経歴やどんな人生を生きてきたかは、あまり話す機会もなく、聞いてもあまり教えてくれませんでした。
現在、父親は養護老人ホームに入っていて、今も、昔の話を聞いても教えてくれません。
そんな諦めていたところに、楽天のオークションで作品を発見し、その上、私が生まれる1968年までの父親の略歴がついていたのです。

その中には、昔、よく話しには出てきていた加藤唐九郎先生の名前や、小さい頃、たまに父親に連れて行ってもらっては、お稽古の後に茶室にあげてもらってはお茶をたててお菓子をくれては可愛がってくれた茶道家の小松一優先生とのことや、その他、はじめて知った経歴もありました。
そして、何より、滴翠窯が自分と同じ年齢なんだなと思うと、不思議な感じがしました。一度は行ってみようと思いながら、大阪に住んで約20年になりますが、まだ一度も足を向ける機会がなかったので、今年は行ってみようと思います。
そんなこともあり、私が生まれるまでの父親の略歴が手に入り、子供時代を振り返る機会にもなりました。
憶えている限りでは、子供ながらに土いじりは好きで興味はあったのですが、いつも言われていたのは、「弟は才能があるが、お前には無い。」でした。それは、お前は器用だし飽きっぽいから向かない、しかし、弟は不器用だけど、粘り強く、こつこつやるタイプだから向いているという言い方をされていました。
実は、これがきつい言い方で、工作やプラモデルをつくったりするのが好きだったうえに、今思えばおいおいと思いますが、保育園の頃、祖母につれられて絵の塾に行っていて、なぜかそのプライドもあり、父親に認めてもらえないのが悔しくて、自分には才能がないので好きと思っていることは出来ないんだと思うようになっていきました。
実際、弟は、図画工作や絵を描くのが好きで、結構、上手でした。粘り強く、こつこつやるタイプでもありました。しかし、今、思えば、父親と私の関係が大きく影響していたことは事実で、その影響を考えると、才能が無かったのではなく、才能を否定されていたのです。父親がそのつもりはなくてもです。
実際、父親が留守で、その影響が無いときの、小学6年生の時に、図画で作成した、絵の具を使った版画が、四国新聞のイベントで金賞を受賞して、一躍校内で有名になりました。ちょうどクリスマス時期で、近所からお祝いのクリスマスケーキを3個くらいもらった記憶があります。
それでも、父親は「よかったな。まぐれやろう。」で終わりでした。
実は、高校を卒業するまで、父親の影響から離れると、何か良い結果が出るというのが続いていました。
それくらい、父親は怖い存在であり、支配的で、その怖さは、ここでは書けないくらい、本当に激しかったのです。
実際、その父親の部分を私は自分の中に取り込んでいて、随分取り組んで癒してきました。そして、癒しのプロセスが進むたびに、生き方も楽になっていきました。
そう思う中で、ふと、自分に問いかけました。
「おまえはいったいどうしたいの?」
暫くするとうまく表現できない感覚とともに、何かをしたがっている自分がいることに気づきました。
まだ言葉にはなりません。
その体験から、今年は、自分のインナーチャイルドの才能に、あらためて目を向けてあげようと思ったのです。
具体的に、どんな形になっていくかはわかりませんが、自分の内なる声なのか、インナーチャイルドの声なのかはまだわかりませんが、自分の感覚や、内側から聞こえて来る声を聞いて、やりたがっていることをさせてあげようと思います。
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